豊臣秀吉の二条城

豊臣秀吉の二条城

あなたは学生時代、充分歴史の勉強をしていましたか?
「歴史上の人ものが似たような名前で、憶ええるのに一苦労した」「出来事とその時代がよくわからなくて苦手」などなど、歴史はどうしても複雑ですから、苦手科目だった人も多いことでしょう。

 

ただし、歴史は何とも奥深くておかしいものです。
当時の生活や思考が行き渡り、却ってそれが関連づいて今の日本があることがよく理解できます。

 

歴史では、人ものと同じくらい様々なお城や寺の名前が出てきますよね。
東大寺や伏見稲荷大社、金閣寺など、これらは今でも国宝として残されています。

 

その中に、「二条城」があります。
歴史では大々的に表れることはありませんが、世界遺産にも認定されているほどのお城です。
あなたも1度は見聞きしたことがあるでしょう。

 

但し、この二条城は何人もの主要人ものが建てていることをご存知でしたか?
今回は、そんな中けれども豊臣秀吉の二条城についてご紹介していきましょう。

 

豊臣秀吉は、二条第と呼ばれるお城を建築しました。
豊臣秀吉の本拠地は大阪でしたが、京都にも拠点を構えようということで建てられたものです。

 

これは1から造られたものではなく、元からあった「妙顕寺」を移転させたもののため、別名「妙顕寺城」とも呼ばれていました。
この城の見どころは、堀がめぐらされ、大きな天守もあること。
豊臣秀吉の二条城が有する特徴の一つです。

 

京都には、おんなじ二条城の名前を持つ城がいくつも点在しています。
観光の際は、必ずそれぞれの二条城を見比べてはいかがでしょう。