七福神のなかでも一番大好評と言われている恵比寿天というのはどんな神様ですのでしょうか。
右手に釣竿、左手に鯛を抱えています。
大漁を想像したキャラクターですので、漁師たちには縁起の良い神様であるこというのは直ぐに分かるでしょう。
自分たちの漁も大漁であってほしいと願っているのです。
実はこの恵比寿様は七福神のなかで唯一のニッポンの神様です。
いざなみ、いざなぎのちびっことして生まれました。
三歳まで歩けなかったと言う話になっています。
恵比寿天は漁業の神様、商売繁盛の神様ですので、居酒屋や料亭等には飾ってあるはずです。
七福神に祀られている神様はみんなにっこりとしています。
福を招くのですので当然かも知れません。
ただ、神様たちの生い立ちはあまり幸せではありません。
当然、全部逸話ですので本当のところは分かりませんし、単なる空想の産物にすぎないのでしょう。
室町時代に考案された七福神ですが、民衆の不安を解決する為に、国内外の神仏を合わせて七福神となったと言われています。
神仏のワールドでは奇数が吉数と考えられており、七は特に縁起が良いとされています。
そこで七福神となったのです。
恵比寿天がそのなかに入ったのはニッポンですので当然といえるでしょう。
ニッポンの神話ではいざなぎといざなみは特にな存在です。
その二人のちびっこですので特にな神様ですのです。
ニッポンでは現代でも多くの人が神社にお参りをします。
特にお正月は三社参り等が自然でしょう。
スマホを持ちながら三社参りを行うシーンはまさに現代的です。
お参りをしたからと言って特になご利益があるわけではないかも知れませんが、日ごろからの感謝の心持ちを込めてお参りを行うのです。
自己満足と行ってしまえばそれまでのことですが、自分の心持ちが幸せに感じ取れるのであるのならそれで十分でしょう。
神様にかんする話はいっぱいありますが、それは全部逸話ですのでしょうか。
荒唐無稽とおもわれるような話でも、そこには幾らかの真実が隠されています。
そんな話ができた理由を考えてみればいいでしょう。
昔は多くの人の生活は苦しかったと考えられます。
神様に願い事をしなければ、心持ちの整頓ができなかったのです。
神様だけが救ってくれたのでしょう。
七福神の大黒天
七福神の中心である大黒天を知っていますか。
打出の小槌を持って、背中には大きな袋を背負っています。
袋のなかには何が入っているのでしょうか。
大黒天は農業の神様、財宝開運の神様と考えらえています。
大黒天にお参りすることでいいことがあると言うわけです。
当然、それはお参りする人がどれだけ強力に思っているかによってチェンジしてくるでしょう。
大黒天は大国主命と仏様がいっしょになったといわれています。
それがニッポンの神仏習合の典型です。
個々のいいところを合わせて新しい神様を考え出すのです。
七福神の宝船に乗っている神様たちは、出何処ろはバラバラです。
それでもいっしょに乗っていて、みんな幸せを運んでくれると信じているでしょう。
人は誰でも自分のおもい通りに生きるこというのは出来ませんから、何かにすがりたいとおもうのです。
それが宗教となってきます。
ニッポンでは神仏習合によって、特定の宗教ではなく信仰として受け継がれてきました。
七福神はその集大成と言えるでしょう。
庶民はどんな形かどうかではなく、自分たちが気軽にお願い事を出来る神様を待っていたのかも知れません。
大黒天がどんな神様であるかと比べると、自分たちの願いを聞いてくれるのではないかと期待させるだけで十分ですのです。
大黒天の打出の小槌は何が出てくるのでしょうか。
自分が望むものなら何でも出てくると考えられています。
ただ、出てきたものはいずれ消え失せてしまいます。
つまりは、実体のない幻想ですのです。
幸せというのは無常ですのでしょう。
ニッポン古来の宗教と仏教等が混然一体となって七福神ができあがっています。
大黒天はネズミを連れているといわれています。
このネズミは特にな使命を果たしているのですが、そのことを深く探求してもゆえんはありません。
ネズミは大黒天の使いであって、米を食すことからコメを粗末にしてはいけないとの教えと考えられます。
それが農業の神様につながっていくのです。
七福神に限らず、神話には多様な教えがちりばめられています。
単なる物語として読書のではなく、そこに描かれている理由を考えることが重大です。
あなたに信仰心がないとしても、神話から倫理観や価値観を見出すこというのは出来るでしょう。
それが七福神を知ることなってす。